金砂大田楽 Part2

今回は田楽舞。




我が国は、古来瑞穂の国ともいわれ、農を国の本とし、国民は米を主食として生活してきたのであるから、風雨も順調に、鳥虫の害もなく、穂も豊かに実るよう神に祈る祭りは、上代人にとって実生活に欠くことのできない重要な行事であった。
田楽とは、このような農民の生活から生まれた舞楽であるといえよう。

田楽とは、田植えのときに田の神を祭り農夫の苦労を慰めるため、笛や鼓を鳴らして舞い踊ったのに起こるといわれている。
すなわち、豊作を祈願する宗教的儀式から発した田舞および田遊びに、物真似、曲芸を主とする伎楽および散楽系統の芸能が結びついて生まれたものと思われる。




東金砂山と西金砂山は相対してそびえる深山で、この山に起きた雷はよく常陸の国一帯に雨を降らせるというので、昔から「金砂の雷は一国の雨」ということわざがあった。

各山上に神社があって、東金砂神社、西金砂神社という。
祭神は、東金砂神社が大国主命と少名彦命、西金砂神社が大国主命で、この二神は協力して国土を経営し、また医薬治療の道を教えられ、鳥虫などの災害防除の禁厭の法をおはじめになった神である。

この両神社の氏子数百人が天下泰平、五穀成就、万民豊楽を祈願し大行列を従えて各地で奉納する舞が金砂大田楽の田楽舞である。

松本 記  

追記
私の同窓生である神主は、全国に自分の姿が大放映されたと喜んでいたが、はたしてこの神主は何をしていたんだろうか。







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